国家の平和、人となり、倫理を考える

「平和教育」、「人となり」、個人・組織・企業の「倫理」を考えらされる一連の出来事。

中原徹校長の丁重な両手を添えるが如くの「育てる教育」

教育で「教え込む」とは、「思想を教え込む(洗脳)」の場でなく
考える力を教え込む」が大切。

教育の場から「教え」が独り歩きして「育てる」が疎かになっていないだろうか。

それらに関連して、「報道」が何時から「報になったのだろうか。

感情を高ぶることなく耳を澄まそう。

1.大阪府立和泉高等学校 中原徹校長の5月12日のブログ。(全文複写掲載)
2.大阪市市政 記者会見等/橋下市長の登退庁時の取材(5月8日登庁時囲み取材)。

3.大阪毎日放送 VOICE 5月11日の放送。

4.その後の反応

※考えらされる基となった中原徹校長のブログは、思考流れが途切れないようにリンクを張るのではなく文章そのものを全文コピーさせて戴きました。  なお、空白と改行は当方で編集しました。

※5月8日登庁時囲い取材の様子は、中原徹校長のブログ本文中にもリンクが張ってありますが、もう一つの論点の「企業倫理」の観点から「VOICE5月11日の放送」のまえに再度リンクを張っています。

http://xn--zck9awe6dr30vre5d.biz/government_news/1590/
  深読みTREND速報!!

※1年経過して、元のリンク先の多くが切れていますので、現在、視聴できるサイトを紹介します。
(但し、設置者のコメントが記載されていますが中立の立場で視聴をお願いします)

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◆ 国歌斉唱問題から学ぶこと 
大阪府立和泉高等学校 中原徹校長の5月12日のブログ。(全文複写掲載) 

今年の3月に和泉高校の卒業式がメディア(媒体)によって取り上げられましたが、5月8日の橋下市長とMBSの斉加記者さんとの間のやり取りの映像が数多くネット上で公開されています。

私も、このブログの読者の方々から下記のURLを教えていただきました。この画像へのアクセスだけでも現在120万件のアクセスを超えているようです。↓

http://www.youtube.com/watch?v=3OKlJeer0PQ&feature=relmfu

この映像に関連して私のところにもたくさんのコメントが寄せられていますので、私の考えをお話させていただきたいと存じます。
今回の斉加記者さんと橋下市長との間の応酬は、下記の雑誌「SAPIO」の記事に関する橋下市長と陰山先生(現大阪府教育委員長)との間のtwitter上でのやり取りがきっかけになっているようです。↓

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120504-00000011-pseven-soci

3月の卒業式以降、「国歌斉唱のチェック」という論点につき、色々な議論がなされました。  民放テレビにおけるコメンテーターの多くの論調は私に批判的でした。 直接私のところにも約350件のコメントが来ました。
およそ6割が賛意・応援、4割が反意・批判でした。  4割の批判のうち、ただストレスを発散したいかのような罵詈雑言だけを浴びせるコメントや、メディアによって都合よく編集された報道内容(正確に真実を伝えない内容)を前提としてなされた、誤解に基づくコメントもありました。

罵詈雑言コメントは読み流しました。
誤解に基づくコメントについては、非常に残念な思いでした(お一人ずつお話をしたいという気持ちでした)。
一部のメディアが上層部のイデオロギーを強調して報道内容を編集することを改めて学びました。
罵詈雑言コメントや誤解に基づくコメント以外にも、礼儀正しく、丁寧な文章で批判していただいたコメントも多数ありました。
歴史資料のコピーを送ってくださった方々、戦争に関する書籍を送ってくださった方々もおられました。
いただいたコメント、歴史資料、書籍にはすべて目を通させていただきました。

私自身、知らなかった歴史事実の指摘もあり、大変勉強になりました。 この場を借りてお礼を申し上げます。

一方、冒頭でご紹介した斉加記者さんの映像が公開された後にいただいたコメントは、ほぼすべて賛意を示す応援コメントでした。
コメントをくださった方々にもお礼を申し上げます。

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さて、私がなぜこの記事を書いているかというと、自分に都合のよいデータを紹介したいからではありません。
今回の「国歌斉唱」問題で明らかになった日本人の考え方の違いを、どのように高校生に伝え、教育現場において活かすべきかという議論に昇華させたいからです。
卒業式から1か月経過した4月の入学式では、入学して来られる生徒・保護者の方々を混乱のない形で温かく歓迎させていただきたいという趣旨から、メディアの取材用カメラが入学式会場(体育館)に入ることをお断りしました。
一方で、和泉高校はとりわけ公立高校ですから、メディアを閉め出して、情報を隠しているような誤解をされることも嫌いました。
そこで、入学式の数日前に行われた職員会議をメディアに公開しました(MBS、NHK及び朝日新聞〈いずれも敬称略〉)に対して公開しました)。
職員会議を学校が公開することは極めて稀で、各報道陣も「初めてではないか」と仰っていました。
職員会議の公開に先立っては、教職員全員の同意を得ています。
色々なところで何度も申し上げておりますが、卒業式であれ、その後であれ、報道とは裏腹に、和泉高校では何ら大きな混乱はありませんでした(先日、和泉高校の2年生が朝日新聞にその旨投稿してくれて、新聞記事にもなりました)。
誰も後ろめたいことをしていないのだから、職員会議を堂々と公開しようということになりました。 公開に反対する教職員はゼロでした。

職員会議において私は以下のふたつのことを伝えました。

①、正当な民主主義の手続きを経て出され、最高裁判所でも合憲(思想・良心の自由を侵害しない)と判示されている職務命令はやはり守るべきだ。卒業式/入学式は生徒を気持ちよく送り出す/迎え入れるセレモニーであり、そうであるならば個人のイデオロギーをアピールする場とするのではなく、しっかり起立して斉唱し、生徒を祝福すべきである。

②、一方で、「日の丸」「君が代」に日本の歴史の負の側面が関連しているという考えをお持ちの方が仮におられるのであれば、ここは教育現場であるからそういった少数意見が封殺される場であってはならない。 しかし、そのようなお考えを、式典で立たない・歌わないというような形でアピールをしても生徒の教育には何の役に
も立たない。 イデオロギーをめぐる大人同士の争いになり教育から離れてしまう。
仮に「君が代」と日本の歴史の負の側面に関連があるとするならば、その考えの根拠となる史実は何か、資料を示しつつ生徒に情報提供すべきである。
その際、ひとつの考え方に偏らないように、必ずご自身と異なる反対意見も情報提供しなければならない。

実際に、私が2年前に和泉高校に赴任してから、そういった情報提供の場を設けるべく、「平和と国防を考える」という題名の特別授業(カリキュラム外の授業で、参加を希望する生徒に対してのみ行う授業)を毎年1回行っている。
これまでも先生方に積極的な参加を求めてきたが、今後もこの機会を是非積極的に活用することで意見表明して欲しい。

国歌斉唱問題については、①の論点はすでに議論されていますが、②の視点はどこでも議論されていません。
そもそも、国歌斉唱を拒む人々の思いは「2度と戦争を起したくない=平和を維持したい」という点に集約されると思います。
この思いには私も大賛成、いや、おそらく日本国民すべてがこの思いを共有しているのだと思います。
国歌斉唱反対派の人々は、なぜ「君が代」を斉唱することが府立学校の教員に義務付けられると、「戦争につながる=平和が維持されない」のかを史実をもって(希望する)生徒らに説明して欲しいのです。
その際、偏った特別授業にならないように、反対意見もバランスよく紹介する必要があります。

高校を卒業すると間もなく選挙権が与えられます。 高校生は「戦争」や「平和」を真剣に考える年齢です。
「戦争」についても「平和」についても、相手国のある話です。
つまり、平和を維持するためには、如何にして国を守るか、「国防(安全保障)」に対する考察が不可欠です。
「国防」を考えずして「平和」は実現されません。

勿論、ここでいう「国防」には、外交交渉、国連での発言等を通じた国際的な政治活動、経済政策、民間レベルでの国際交流・貢献、教育の国際化など、武力の保持・行使以外のあらゆる方法による国防を含みます。
「平和」と「国防」のバランスをどう考えるか、国の要職に就く人達ですら頭を悩ませる難問です。
だからといって、これからの日本の将来を担う若者がこの論点について思考停止をしてはいけないと考えています。

そこで、私は、2年前から、毎年「平和と国防を考える」という特別授業を希望の生徒を対象に行ってきました。 詳細については、2年前(第1回)に取材にこられた毎日新聞の記者さんが作成した記事をお読みいただくのが一番よろしいかと思います。

和泉高校のHPからです↓
http://www.osaka-c.ed.jp/izumi/news/mainichi_heiwatokokubou.pdf

「平和」の授業では、私が長崎在住の被爆者の方々を訪ねてインタビューをさせていただいた映像を参加生徒に見ていただき、その後、弁護士をしていた私が、自衛隊・日米安保が憲法9条違反であるとする見解の根拠、反対に合憲であるとする見解の根拠などを盛り込んで憲法9条について解説します。
「国防」の授業では、実際に自衛隊駐屯地に見学に行き、自衛隊員から日頃の活動内容をうかがったり、一緒に訓練をしたり、昼食を食べたりします。 特に、昨年度は、東北の震災での活動内容を詳しくご説明いただき、大変参考になりました。

この特別授業は、毎日新聞の記事において正確に報道されているように、参加生徒をひとつの考え方に導くものではありません。
高校生にありったけの情報を包み隠さず提供することにより、正解がひとつでない、あるいは正解に容易にたどり着けない難問を自分の力で考え始めるようにしてもらいたいのです。

残念ながら、日本の教育界では、「国防」という言葉を口にすることすらタブーになっています。 2年前に「平和と国防を考える」企画をメディアに報道提供資料として公開する際にも、教育委員会から「国防」という言葉を題名から取れないかと強く進言されましたが、「国防」こそ若者が考えるべき論点であるのだから外してはいけないと反論し、残しました。
案の定、一定のイデオロギーを持った集団からは嫌がらせを受けました。

私は、政界であれ、財界であれ、近現代史を十分に理解し、「平和と国防」に対するバランスの取れた識見を持つ人々がリーダーになるべきであると考えています。 高校教育においても、近現代史と「平和と国防」の考察に力を入れるべきだと思います。
近現代史を学ぶ際には、できるだけ多くの見解・解釈に触れる必要があります。
日本の近現代史を否定する解釈、肯定する解釈、両方学ばなければなりません。
そうでなければ、相手(国)の考え方が理解できず、交渉や話し合いをまとめることもできないからです。

こうした教育の欠如が、外交交渉等の様々な場面で実際に悪影響を及ぼしていると思われますし、「日の丸」「君が代」につき、好きか嫌いかだけの議論に終始してしまい、ときに第二次世界大戦の総括ができていないと言われるひとつの原因になっているとすら考えます。

私は、昨年、第2回の「平和と国防を考える」企画を実施するにあたり、10数校の府立高校の校長に対し、「希望する生徒がおられたら是非参加してみませんか?」と声をかけてみましたが、どの校長も乗ってくれませんでした。
この企画に魅力がなかったのかも知れませんし、校内の反対派の先生が気になったのかも知れませんし、そもそも「平和と国防」を高校生が考える必要性はないと判断されたのかも知れません。
ただ、私見としては、大阪の「グローバルリーダーズ(進学指導特色校)10校」は、グローバルなリーダーを育成するというミッションを有しているのですから、グローバルリーダーの卵にこそ、「平和と国防」について深く考えていただきたいと思っております(他校のことに差し出がましいことを言って大変恐縮ではありますが)。

教育現場における国歌斉唱問題については、公務員のルールの遵守について議論することも然ることながら、「君が代」賛否の人々の意見を、根拠のある史実と合わせて若者に紹介し、人材育成に活かすことが肝要ではないかと思うのです。

冒頭の映像の斉加記者さんは、上記の和泉高校の職員会議を取材された番組(VOICE)の編集責任者でおられると認識しています。
VOICEさんは上記の職員会議を取材されていますし、私も上記の考えを何度も取材チームにご説明申し上げていますが、この点は取り上げていただけません。
ただ単に、「卒業式と同じ『口元チェック』を入学式でもやった」という描写をなさるだけです。

強力な伝播力を持つメディアと、あまりに微力なこのブログとでは、もとより土俵が異なるのですが、せめてこのブログを見ている生徒・保護者・読者の方々には私の考えを理解していただきたくこの記事を書きました。


大阪府立和泉高等学校
中原徹校長のブログ

 

大阪市市政 記者会見等
5月8日登庁時囲み取材

 

このように編集された 


4.その後の反応

1)、橋下市長
2)、MBS  ㈱毎日放送

1)橋下市長の5/13連続ツィッターから

MBSの例の記者とのやり取りで、何が原因だったかと言うと、僕の記者に対する質問に対して記者が「答える必要はない。私が聞いているので答えよ」と平然と言ったんだよね。ここが全てだった。

取材の自由、報道の自由と言うのは、権力が取材活動を妨害すること、報道活動を妨害すること、権力で抑えつけることを言うのであって、メディア側が一方的に特権、権利を持つこととは違うんだよね。MBSの例の記者は、この辺の勉強が足りなかった。

公人であれば記者の質問に全て答える義務があり、しかし記者は答える義務がない。MBSの記者はそう思っていたのであろう。MBSはもっと記者に対して研修をするべきだ。僕は公人だから記者会見の場、朝夕囲み取材の場などでは出来る限り記者の質問には答える。しかしそれは一方的な僕の義務ではない

記者の認識に誤りがあったり、見解に合理性がなかったりすれば、当然僕から質すこともある。権力と記者のやり取りの中で真実が見えてくる。それが民主主義における議論の重要性だ。ところがMBSの例の記者は番組を作るために、番組用の僕のコメントを採るのに必死だった。結論先にありき。

記者会見や囲み取材の場に来て、議論する覚悟がないなら来るべきではない。報道陣と一定の時間を共有するのは、それは番組のためではない。有権者に判断材料を提供するためだ。それをMBSの例の記者は番組用のためだけに取材に来た。ここが全ての原因。

「私が質問しているのだから私の質問に答えよ。私は答える必要はない。」こんな取材姿勢が通るはずがない。MBSは一体どんな研修をしているのか。そして最後の締めには「この辺にしておきましょう。」一体あんたは何様なんだとブチ切れました。

僕はこのような記者でも有権者のためにと出来る限り応じました。それで約30分となりました。まあネットでやり取りが全て流れて、あとは有権者の判断に任せます。MBSのボイスではやり取りは全てカットされて、僕だけが頭のおかしい市長のように放映。これがテレビ。くわばらくわばら

ネットで全て録画していることを承知であえて大騒ぎしたんだけどね。中原校長への誤解があまりにもひどかったから。府教委は教育委員会会議で中原校長は何も悪くないと確認したからそれで十分と言う認識だったがそんなので十分なわけがない。世間に発信しようと思えばここまでやらなきゃならないんです

記者は忙しくて全てを勉強しているわけではないから記者が答えられなくてもしょうがないと言うどこかの市長の頓珍漢な意見もありましたが、それを言いだしたら僕なんて何も答えられなくなってしまいますよ。僕はいつも事前のペーパーなしで記者とやり合っている。

その場で分からないことは分からない、知らないことは知らないと言いながら相手にも前提事実を教えてもらいながら記者とやり取りする。だから予定調和の会見にはならない。知らなきゃ知らないと言えばいいだけ。答える必要はないというのはどう考えてもおかしい。

僕は市政記者クラブ以外の人には、大阪市政について全てを把握しているわけではないという前提で答えているつもり。外国人記者や大阪以外の遠方から来た記者には。しかし市政記者クラブ加盟のメディアには、散々しゃべっているんだから、まずは社内取材をきっちりしてくれればいいじゃないか。

しかもMBSの例の記者は、中原校長の口元チェックを批判する番組を作ろうとしていたのだから前提事実くらいはしっかりと把握しておくべき。記者は知らなくても当然、それは市長がきちんと説明すべきと言うのは、大阪市政における会見等の状況を知らない意見。

僕は膨大な時間を使ってメディアとやり取りをしている。それが有権者のためになると考えているからだ。だからメディアもそれを踏まえての議論としてもらいたい。「私が質問している。私の質問に答えよ。しかし私は答える必要はない。」こんな記者とは議論にもならない。MBS、しっかり頼むよ!

2)、MBS  ㈱毎日放送

MBSは「番組が全て、番組を視聴してください」のコメント。

放送当日の大阪市役所
橋下市長の囲み取材の風景。
(タイトルはYouTube原文)

 

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私は、9日にMBS広報部に疑問を呈するメールを出しました。

中原徹校長や大阪市長の文章がある同一ページに、不適切な表現のリンクのタイトルがあります。

公共放送の場で、倫理・思想・意見を問う当事者が、それらのモラルからかけ離れた、礼儀・節度が欠けた行動も論議の対象ですのであえてインターネット上にある物をそのまま載せました。

個人的には、無礼な振る舞いも「起立して国歌斉唱」の精神と大きく結び付いていると思っています。

また、中原徹校長のこの一文が、教育現場で困難を極める「今日の平和教育の推進」を考える教材として、是非、教科書に載せていただきたいと思っています。

 

◆以下、5/25 追記◆

肩入れ放送は、当然、NHK・民放(新聞を含む)を問わず、立場の数だけあるものと認識しています。

特に、民間・政党は露骨・誹謗を行うものだと認識しています。 (スポーツ紙・政党新聞など)
そこには、私たちの嗜好にる互換関係で成立しているので選択肢の問題ですが、「公共」を謳うのであれば疑問を持ちます。

毎日系列は、比較的に偏向がなく、大人しく、バラエティー傾向のメディアの認識で視聴・購読しています。

新聞は、小学生の時から35歳まで毎日新聞を子供・朝・夕刊を購読。 (朝日・読売の偏向が嫌いで・・・)
その後は、会社との付き合いで職場に有りましたので、政治経済・文化・時事報道面の内容が物足りなさを感じ、文化面が充実の日本経済新聞に切り替えました。

今回は、良く言えば遊撃隊、悪く言えば民放のリポーターを、行政の神聖な場所・リングのなかに入れたMBS社内で歯止め・倫理規定が薄れた企業の怠慢。

毎日の橋下番記者には、MBS本流のバラエティ記者ゆえNoが言えない状況だったのかと推察しました。(ネット上は色々と賑やかですが・・・)

何よりも、回りの他社記者達が一番戸惑ったのではないでしょうか。(放送日当日、定例をMBS記者が脱兎した後の他社記者の冷笑から察すると)

「MBSのミスティーク」の希望的思いで結論つけましたが、「これが真面目」での動きとしたら、本当に日本は危ない。

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